大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和46年(ワ)678号 判決

原告 伊藤仁彦

被告 永田きよ子 外八名

主文

一  原告に対し、

1  被告永田きよ子は、別紙第一物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ、昭和三六年五月一日から右明渡済みに至るまで右土地につき一か月、三・三平方メートルあたり昭和三七年四月三〇日までは金二三五円の、昭和三八年四月三〇日までは金三四五円の、昭和三九年四月三〇日までは金四〇八円の、昭和四〇年四月三〇日までは金四八七円の、同年五月一日以降は金五〇〇円の、各割合による金員を支払え。

2  被告石原ちよは、別紙第二物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ、昭和三六年五月一日から右明渡済みに至るまで右土地につき前号と同額の割合による金員を支払え。

3  被告恒川愛子は別紙第三物件目録(二)記載の建物を収去して、被告恒川義雄は右建物から退去して、それぞれ同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ、右被告両名は、連帯して、昭和三六年五月三一日から右明渡済みに至るまで右土地につき第1号と同額の割合による金員を支払え。

4  被告宮崎ひで及び同宮崎博は、別紙第四物件目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ、連帯して、昭和三六年五月一日から右明渡済みに至るまで右土地につき第1号と同額の割合による金員を支払え。

二  原告の、被告永田きよ子、同石原ちよ、同恒川愛子、同恒川義雄、同宮崎ひで及び同宮崎博に対するその余の請求並びにその余の被告らに対する請求は、いずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用中、原告と被告宮崎弘子、同水谷時子及び同栗木令子との間において生じたものは原告の負担とし、原告とその余の被告らとの間において生じたものはその余の被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告の請求の趣旨

1  原告に対し、

(一) 被告永田きよ子(以下「被告永田」という。)は、別紙第一物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物(一)」という。)を収去して同目録(一)記載の土地(以下「本件土地(一)」という。)を明渡し、かつ、昭和三六年五月一日から右明渡済みに至るまで本件土地(一)につき一か月、三・三平方メートルあたり金五〇〇円の割合による金員を支払え。

(二) 被告石原ちよ(以下「被告石原」という。)は、別紙第二物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物(二)」という。)を収去して同目録(一)記載の土地(以下「本件土地(二)」という。)を明渡し、かつ、昭和三六年五月一日から右明渡済みに至るまで本件土地(二)につき一か月、三・三平方メートルあたり金五〇〇円の割合による金員を支払え。

(三) 被告恒川愛子(以下「被告愛子」という。)は、別紙第三物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物(三)」という。)を収去して、被告恒川義雄(以下「被告義雄」という。)は、本件建物(三)から退去して、それぞれ同目録(一)記載の土地(以下「本件土地(三)」という。)を明渡し、かつ、右被告両名は、連帯して、昭和三六年五月一日から右明渡済みに至るまで本件土地(三)につき一か月、三・三平方メートルあたり金五〇〇円の割合による金員を支払え。

(四) 被告宮崎ひで、同宮崎弘子、同水谷時子、同栗木令子及び同宮崎博(以下それぞれ「被告ひで」、「被告弘子」、「被告時子」、「被告令子」、「被告博」という。)は、別紙第四物件目録(二)記載の建物(以下「本件建物(四)」という。)を収去して同目録(一)記載の土地(以下「本件土地(四)」という。)を明渡し、かつ、連帯して、昭和三六年五月一日から右明渡済みに至るまで本件土地(四)につき一か月、三・三平方メートルあたり金五〇〇円の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  被告博を除くその余の被告ら

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

2  被告博

被告博は、公示送達の方式による呼出を受けたが、本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しない。

3  被告ひで、同弘子、同時子及び同令子

原告は、当初訴外宮崎哲(以下「訴外哲」という。)を被告として本件建物(四)の収去、本件土地(四)の明渡を求める訴を提起し、訴外哲が右訴の提起当時には死亡していたことが判明するや、被告の表示を訴外哲からその相続人である被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博に訂正したものであるが、かかる当事者の表示の訂正は許されない。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  訴外伊藤太郎(以下「訴外太郎」という。)は、昭和二〇年以前から本件土地(一)ないし(四)がその一部である名古屋市千種区坂下町二丁目三〇番、畑(現況宅地)二、〇九九平方メートル(以下「本件土地」という。)を所有していたものであるが、昭和四五年一月一〇日に死亡し、原告がその相続人として右訴外人の財産に属した一切の権利義務を相続により承継した。

2  ところが、いずれも昭和三六年五月一日以前から、被告永田は本件建物(一)を所有して本件土地(一)を占有し、被告石原は本件建物(二)を所有して本件土地(二)を占有し、被告愛子は本件建物(三)を所有し、被告義雄は右建物に居住して、それぞれ本件土地(三)を占有し、被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博は本件建物(四)を所有(本件建物(四)はもと訴外哲が所有していたものであるが、右訴外人は昭和三四年一一月一五日に死亡し、右被告五名がその相続人として右訴外人の財産に属した一切の権利義務を相続により承継したもの。)して本件土地(四)を占有し、訴外太郎及び原告に対して昭和三六年五月一日以降それぞれ右各土地につき一か月、三・三平方メートルあたり金五〇〇円の割合による賃料相当額の損害を与えている。

3  よつて、原告は、被告らに対し、請求の趣旨記載のとおり、本件各建物の収(退)去・本件各土地明渡及び昭和三六年五月一日以降右各明渡済に至るまでの間の賃料相当額の損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告ら(被告博を除く。)の認否

1  請求原因1の事実は知らない。

2  同2の事実中、被告永田、同石原、同愛子、同義雄が昭和三六年五月一日以前からそれぞれ本件各建物を所有し又は居住して本件各土地を占有していること及び本件建物(四)はもと訴外哲が所有していたものであるが、右訴外人は昭和三四年一一月一五日に死亡し、被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博がその相続人として右訴外人の財産に属した一切の権利義務を相続により承継したことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  被告ら(被告博を除く。)の抗弁

1  被告弘子、同時子及び同令子は、昭和三六年五月一日以前に、相続によつて承継取得した本件建物(四)についての各持分を訴外ひでに対して譲渡した。

2(一)  訴外太郎は、昭和二一年一月一日、名古屋市に対し、本件土地を建物所有を目的として賃貸した。

そして、名古屋市は、昭和二一年中に本件土地上に本件各建物を建築した。

(二)  訴外村瀬剛之助(以下「訴外村瀬」という。)は、昭和二三年三月三〇日、名古屋市から本件建物(一)を買受けるとともに本件土地(一)を転借し、以後右建物を所有して右土地を占有していたものであるが、被告永田は、昭和二九年六月二六日、訴外村瀬から右建物を買受けるとともに右土地についての転借権の譲渡を受け、以後右建物を所有して右土地を占有しているものである。

訴外木村敏光(以下「訴外木村」という。)は、昭和二一年七月頃、名古屋市から本件建物(二)を買受けるとともに本件土地(二)を転借し、以後右建物を所有して右土地を占有していたものであるが、被告石原は、昭和二七年五月頃、訴外木村から右建物を買受けるとともに右土地についての転借権の譲渡を受け、以後右建物を所有して右土地を占有しているものである。

被告愛子は、昭和二四年一月二六日、名古屋市から本件建物(三)を買受けるとともに本件土地(三)を転借し、以後右建物を所有して右土地を占有しているものである。そして、被告義雄は、被告愛子の夫として右建物に居住しているものである。

訴外哲は、昭和二三年三月二九日、名古屋市から本件建物(四)を買受けるとともに本件土地(四)を転借し、以後右建物を所有して右土地を占有していたものであるが、訴外哲は昭和三四年一一月一五日に死亡し、被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博がその相続人として右建物の所有権及び右土地についての転借権を相続により承継し、更に、被告ひではその頃被告弘子、同時子及び同令子から右建物の所有権及び右土地についての転借権の各持分から譲受け、以後右建物を所有して右土地を占有しているものである。

(三)  そして、本件土地の右各転貸及び各転借権の譲渡については、賃貸人たる訴外太郎及び転貸人たる名古屋市は、その都度これを承諾したものである。

3  被告永田、同石原、同愛子及び同ひで又はその前主たる本件各土地の転借人らは、前項記載のとおり、その各占有する本件各土地を名古屋市から建物所有を目的として転借し又は名古屋市からそれらを転借している転借人らから転借権の譲渡を受けてその各占有を開始し、以後賃借の意思をもつてその占有を継続し、賃料を支払つてきた(但し、昭和三六年五月一日以降の賃料については、名古屋市がその受領を拒絶したため、以後供託を続けてきた。)ものである。

そして、右被告ら又はその前主たる転借人らには、その各占有の始めにおいて、名古屋市に本件各土地を賃貸する権限があると信じるについて過失はなかつたのであるから、その各占有開始時から一〇年の時効期間の満了により、仮に、その各占有の始めにおいて右のように信じるについて過失があつたとしても、その各占有開始時から二〇年の時効期間の満了により、右被告らは、次のとおり、その各占有する本件各土地についての賃借権を時効取得するに至つたものである。

被告永田は、昭和二三年三月三〇日又は昭和二九年六月二六日から一〇年又は二〇年を経過した日の満了をもつて本件土地(一)についての賃借権を時効により取得した。

被告石原は、昭和二一年七月(遅くとも同年同月末日)又は昭和二七年五月(遅くとも同年同月末日)から一〇年又は二〇年を経過した日の満了をもつて本件土地(二)についての賃借権を時効により取得した。

被告愛子は、昭和二四年一月二六日から一〇年又は二〇年を経過した日の満了をもつて本件土地(三)についての賃借権を時効により取得した。

被告ひでは、昭和二三年三月二九日から一〇年を経過した日の満了をもつて訴外哲が時効により取得した本件土地(四)についての賃借権を、昭和三四年一一月一五日、右訴外人の死亡に伴い相続により承継取得し、又は、昭和二三年三月二九日から二〇年を経過した日の満了をもつて右土地についての賃借権を時効により取得した。

四  抗弁に対する原告の認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2  同2の事実中、(一)の事実は認める。

同(二)の事実中、被告らがそれぞれ本件各建物を所有(但し、被告義雄は本件建物(三)に居住)して本件各土地を占有していること及び本件建物(四)はもと訴外哲が所有していたものであるが、右訴外人は昭和三四年一一月一五日に死亡し、被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博がその相続人として右建物の所有権を相続により承継したことは認めるが、被告弘子、同時子及び同令子が右建物の所有権の持分を被告ひでに譲渡したことを否認し、その余の事実は知らない。

同(三)の事実は否認する。

3  同3の事実中、被告らが本件各土地を占有していることは認めるが、被告ら又はその前主たる占有者らがその各占有の始めにおいて名古屋市に本件各土地を賃貸する権限があると信じるについて過失がなかつたとの主張は否認し、その余の事実は知らない。

五  原告の再抗弁

1(一)  訴外太郎と名古屋市との間になされた本件土地の賃貸借契約は、今次大戦による罹災者のための越冬用簡易建物を建設することを目的として一時使用のためになされたものであり、賃貸期間を毎年三月三一日までの一か年として以後毎年更新されてきたのであつたが、昭和三三年三月三一日、期間満了によつて終了した。

従つて、被告永田、同石原、同愛子及び同ひで又はその前主らが名古屋市から本件各土地の転貸借を受け又は前主から転借権の譲渡を受けたとしても、右各転借権はその存在の基礎を失つたものであり、右被告らは原告に対してその存続を主張しえない。

(二)  そして、右被告ら又はその前主らと名古屋市との間になされた本件各土地の転貸借契約も同様に一時使用のためになされたものであり、名古屋市は右被告らに対して昭和三五年四月二八日付書面をもつて本件各土地の転貸借契約の解約申入れをなし、右意思表示は遅くとも同年同月二九日までに右被告らに到達した。

従つて、右被告らと名古屋市との間の本件各土地の転貸借契約は、右解約の申入れが右被告らに到達した後一年を経過した日の満了をもつて終了した。

2  被告永田、同石原、同愛子及び同ひで又はその前主らと名古屋市との間になされた本件各土地の転貸借契約は、前記のとおり、一時使用のためになされたものであるから、右被告らは本件各土地についての賃借権を時効取得することはない。

六  再抗弁に対する被告ら(被告博を除く。)の認否

原告主張の再抗弁事実は否認する。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  本件記録によれば、原告は、昭和四六年(ワ)第六八四号建物収去土地明渡請求事件につき、当初は既に昭和三四年一一月一五日に死亡した訴外哲を被告として訴を提起し、その訴状は右訴外人の相続人の一人によつて受送達されたのであつたが、直ちに右相続人の代理人から訴外哲が既に死亡している旨の当裁判所への上申書が送付されてきたのに伴つて、原告においては、右訴状における被告の表示を訴外哲の相続人である被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博に訂正する旨の申立をなし、ここで改めて右被告らに対して訴状及び請求の趣旨等変更申立書が送達されて、以後の手続の進行が図られたことが認められる。

右の経過に鑑みると、右のような場合において、被告の表示を死者からその相続人へと訂正することを認めても、それによつて何ら当事者の利益が害されることはなく、それが訴訟経済の要請にも適うところであるから、かかる措置も適法として許されるものというべきである。

二  先ず、原告の請求原因についてみるに、被告博との関係においては、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第二三号証及び第二六号証、被告宮崎ひで本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める乙第一二号証の一ないし二三、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める乙第一五号証の一、二並びに被告宮崎ひで及び原告各本人尋問の結果を総合すると、請求原因1の事実並びに同2の事実中、訴外哲は本件建物(四)を所有して本件土地(四)を占有していたこと及び右訴外人は昭和三四年一一月一五日に死亡して、被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博がその相続人として右訴外人の財産に属した一切の権利義務を相続により承継したことを認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

また、被告博を除くその余の被告らとの関係においては、請求原因1の事実は成立に争いのない甲第二六号証及び原告本人尋問の結果によつて認めることができ、同2の事実中、被告永田、同石原、同愛子及び同義雄が昭和三六年五月一日以前からそれぞれ本件各建物を所有し又は居住して本件各土地を占有していること、訴外哲は本件建物(四)を所有して本件土地(四)を占有していたが、同訴外人は昭和三四年一一月一五日に死亡して、被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博がその相続人として右訴外人の財産に属した一切の権利義務を相続により承継したことは当事者間に争いがないところである。

そして、被告宮崎ひで本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したものと認める乙第一二号証の二三によれば、被告弘子、同時子及び同令子は、昭和三六年五月一日以前に、前記のとおり相続によつて承継取得した本件建物(四)についての各持分を被告ひでに譲渡し、本件建物(四)は遅くとも右同日以降は被告ひで及び同博の共有するところとなつたことを認めることができる。

三  そこで、被告ら(被告博を除く。)の抗弁及び原告の再抗弁の成否について判断するに、先ず、訴外太郎が昭和二一年一月一日に名古屋市に対して本件土地を建物所有を目的として賃貸し、名古屋市において昭和二一年中に本件土地上に本件各建物を建築したことは当事者(被告博を除く。以下同じ。)間に争いがなく、右事実にいずれも成立に争いがない甲第三ないし五号証、第二〇号証、第二七号証、乙第三号証の一ないし三(但し、第三号証の三は、被告永田きよ子本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める。)、第七号証の一ないし一八、第八号証の一ないし二一、第一二号証の一ないし二三(但し、第一二号証の二三は、被告宮崎ひで本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認める。)、第一五号証の二及び第一六号証の一ないし一九、証人寺部孔彰の証言、原告本人尋問の結果、被告永田きよ子、同石原ちよ、同恒川愛子及び同宮崎ひで各本人尋問の結果並びに検証の結果と弁論の全趣旨を併せ判断すると、次のような事実を認めることができる。

1  今次大戦による罹災者のための暫定的な住宅の確保を目的として、政府が昭和二〇年九月頃に「罹災都市応急簡易住宅建設要綱」を定めたのを受けて、名古屋市においても同市内に応急簡易住宅を多数建設することとし、市内各地にその建設用地の賃貸方を広く求めた。

2  訴外太郎は、名古屋市の右申入れを受けて、本件土地を簡易住宅建設用地として名古屋市に賃貸することとし、昭和二一年一月一日、名古屋市との間において、目的は簡易住宅建設用地、賃貸期間は同年三月三一日までとして、本件土地の賃貸借契約を締結した。

そして、訴外太郎及び名古屋市は、昭和二一年四月一日に賃貸期間を昭和二二年三月三一日まで延長する旨の合意をなし、以後毎会計年度当初に賃貸期間を一年毎延長してきたが、昭和三三年三月三一日の満了をもつて以後は延長されることはなかつた。

3  かくして、名古屋市は、本件土地上に本件各建物を含む多数の簡易住宅を建設し、今次大戦による罹災者を優先してその入居者を募集し、入居させた。

ところで、名古屋市は、右簡易住宅を罹災者のための当面の越冬用の応急住宅として建設したため、右建物は、屋根及び壁面は板張りで、天井はなく、鴨居は柱へはめ込んで固定されているが、土台は玉石の上に載せられているにすぎない程度のものであつて、当時としてもようやく雨露がしのぐことができる程のものであつた。

分離前共同被告伊藤長九郎、同服部武夫、同鈴木廉介及び被告宮崎ひで各本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、証人寺部孔彰の証言及び検証の結果に徴し、容易に措信することができない。

4  訴外村瀬は、当初は名古屋市から本件建物(一)を賃借していたが、昭和二三年三月三〇日、名古屋市から右建物を買受けるとともに本件土地(一)の転貸を受け、以後これを占有して名古屋市に対し右土地の賃料を支払つていたものであるところ、被告永田は、昭和二九年六月二六日、訴外村瀬から右建物を買受けるとともに右土地についての転借権の譲渡を受け、右土地の占有を承継して現在に至つているものであつて、右以来、名古屋市に対して、一か月あたり金一〇五円を賃料として支払つてきた(但し、昭和三六年五月一日以降分の賃料については、右被告が名古屋市に対してその弁済の提供をしたところ、名古屋市がその受領を拒絶したため、右被告はそれ以後はこれを供託している。以下、その他の被告らについてもすべて同様である。)ものである。

訴外本村は、当初は名古屋市から本件建物(二)を賃借していたが、昭和二四年一月二六日、名古屋市から右建物を買受けるとともに本件土地(二)の転貸を受け、以後これを占有して名古屋市に対し右土地の賃料を支払つていたものであるところ、被告石原は、昭和二七年四月頃、訴外木村から右建物を買受けるとともに右土地についての転借権の譲渡を受け、右土地の占有を承継して現在に至つているものであつて、右以来、名古屋市に対して、一か月あたり金一〇五円を賃料として支払つてきたものである。

被告愛子は、昭和二一年九月頃以降、名古屋市から本件建物(三)を賃借していたが、昭和二四年一月二六日、名古屋市から右建物を買受けるとともに本件土地(三)の転貸を受け、以後これを占有して、名古屋市に対して、一か月あたり金一〇五円を右土地の賃料として支払つてきたものである。そして、被告義雄は、同愛子の夫として、同被告とともに右建物に居住して右土地を占有しているものである。

訴外哲は、昭和二一年七月頃以降、名古屋市から本件建物(四)を賃借していたが、昭和二三年三月二九日、名古屋市から右建物を買受けるとともに本件土地(四)の転貸を受け、以後これを占有して名古屋市に対し右土地の賃料を支払つていたものであるところ、前記争いのない事実のとおり、右訴外人は昭和三四年一一月一五日に死亡するに至り、被告ひで、同弘子、同時子、同令子及び同博がその相続人として右訴外人の財産に属した一切の権利義務を相続により承継し、次いで、前記認定のとおり、被告弘子、同時子及び同令子は昭和三六年五月一日以前に右のとおり相続によつて承継取得した右建物についての各持分を被告ひでに譲渡し、以後は被告ひで及び同博が右建物を所有して右土地を占有し、名古屋市に対して、一か月あたり金一〇五円を右土地の賃料として支払つてきたものである。

5  名古屋市が訴外太郎から本件土地を賃借し、本件各建物を建設したのは、前記のとおり、今次大戦による罹災者のための応急簡易住宅を供給するのが目的であつたから、名古屋市は、訴外村瀬、同木村、被告愛子及び訴外哲に対してそれぞれ本件各建物を売渡し、本件各土地を転貸するに際しては、右訴外人ら及び被告らとの間において、同人らは本件各土地上に普通住宅その他これに類するものを建築することができないこと及び法令の定めその他により本件各建物を移転する必要が生じたときは同人らは名古屋市の定める期間内に移転料その他の費用を請求することなくこれを移転しなければならないことを合意し、それ以外には特に借地期間に関する合意をすることはなかつた。

6  名古屋市が前記のとおり右訴外人ら及び被告らに対してそれぞれ本件各建物を売渡し、これに伴つて本件各土地を転貸することとしたのは、名古屋市が当時市内各所に今次大戦による罹災者のための応急簡易住宅として建設した多数の簡易住宅一般についてこれをその各居住者に売渡すこととするとの一般的な方針に基づくものであつたのであるから、特段の事情の認められない本件にあつて、本件土地の賃貸人たる訴外太郎においても名古屋市のかかる方針を知り、名古屋市が本件土地を第三者に転貸しあるいはその転借権が譲渡されることについて予め一般的にこれを承諾していたものと推認される。

同様に、名古屋市は、訴外村瀬及び同木村がそれぞれ本件土地(一)及び(二)についての転借権を被告永田及び同石原に譲渡することにつき、これを承諾していたものである。

四  以上の認定事実の下において、訴外太郎と名古屋市との間の本件土地の賃貸借契約並びに名古屋市と訴外村瀬、同木村、被告愛子及び訴外哲との間の本件各土地の各転貸借契約の性質について判断するに、右各賃(転)貸借契約はいずれも今次大戦による罹災者対策の一環として本件(各)土地上に当面の越冬用の応急簡易住宅を建築、所有することを目的としてなされたものであること、その意味では右各賃(転)貸借契約は公共的性格を持つとともに、多分に地主の好意に依拠してなされたものであること、現実に右同地上に建築された本件各建物を含む簡易住宅はいずれも雨露をしのぐことができる程度の仮設的建築物であること、その他前記認定の諸事情に鑑みると、本件各土地の被告ら又はその前主らによる事実上の使用期間は結果的には長期間に及んだとはいえ、右各賃(転)貸借契約は、いずれも借地法第九条にいわゆる一時使用のためになされたものであると解するのが相当である。

そうであつてみれば、訴外太郎と名古屋市との間の本件土地の賃貸借契約は昭和三三年三月三一日の経過をもつて期間の満了により終了したものというべきであり、被告永田、同石原、同愛子及び同ひでがそれぞれ本件各土地について有した前記転借権はいずれもその存在の基礎を失つたものであつて、右被告ら及び被告義雄については、その主張する本件各土地についての転借権の抗弁は理由がない。

次いで、本件各土地についての賃借権の時効取得の抗弁について判断すると、一般に土地の継続的な用益という外形的事実が存在し、かつ、それが賃借の意思に基づくことが客観的に表現されている場合には、民法第一六三条によつて、占有者は当該土地の賃借権を時効によつて取得するものというべきことは明らかである。そして、右にいう賃借の意思の存否は、占有者の内心の意思によつて決すべきではなく、当該占有を生じさせた原因たる事実の性質、即ち、権限の性質によつて客観的に決すべきものであるところ、本件におけるように、占有者が一時使用のための賃貸借契約に基づいて土地を占有している場合にあつて、占有者が有する一時使用のための賃借の意思は、賃借権の時効取得の要件として必要な賃借の意思には該当しないものと解するのが相当である。けだし、一時使用のための賃借の意思と一般の賃借の意思とでは、賃借という点では共通していても、その権限の性質は異なるものというべきであり、一時使用のための賃借の意思で占有が開始されて法定の時効期間が満了した場合において、一般の賃借権を時効により取得するものとすることは、権限の性質以上のものを時効により取得することを認める結果となつて不当であり、さりとて、このような場合において一時使用のための賃借権を時効により取得するものとすることは、本来、取得時効の適用が問題となるほど長期間にわたつて存続することが予定されていないのが通常である一時使用のための賃貸借たる権限の性質や趣旨に反することであり、永続した事実状態を保護してそれを法律関係にまで高め、社会生活の安定を図ろうとする取得時効制度の趣旨にも合致する所以ではないからである。

従つて、被告永田、同石原、同愛子、同義雄及び同ひでについては、その主張する本件各土地についての賃借権の時効取得の抗弁は理由がないものというべきである。

五  以上を要するに、いずれも昭和三六年五月一日以前から、原告に対して主張しうべき何らの権限なくして、被告永田は本件建物(一)を所有して本件土地(一)を占有し、被告石原は本件建物(二)を所有して本件土地(二)を占有し、被告愛子は本件建物(三)を所有し、被告義雄は右建物に居住して、それぞれ本件土地(三)を占有し、被告ひで及び同博は本件建物(四)を所有して本件土地(四)を占有しているものである。

そして、被告博との関係においては弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められ、その余の被告らとの間においては成立に争いのない甲第三〇号証及び原告本人尋問の結果によれば、本件土地の一か月三・三平方メートルあたりの賃料相当額は、昭和三六年五月一日以降は金二三五円、昭和三七年五月一日以降は金三四五円、昭和三八年五月一日以降は金四〇八円、昭和三九年五月一日以降は金四八七円、昭和四〇年五月一日以降は金五〇〇円をそれぞれ下らないことが認められる。

六  よつて、被告永田は本件建物(一)を収去して本件土地(一)を明渡し、昭和三六年五月一日以降右明渡済みに至るまで前記割合による賃料相当額の損害金を支払う義務があり、被告石原は本件建物(二)を収去して本件土地(二)を明渡し、右同日から右明渡済みに至るまで右同割合による賃料相当額の損害金を支払う義務があり、被告愛子は本件建物(三)を収去して、被告義雄は右建物から退去して、それぞれ本件土地(三)を明渡し、右被告両名は連帯して右同日から右明渡済みに至るまで右同割合による賃料相当額の損害金を支払う義務があり、被告ひで及び同博は本件建物(四)を収去して本件土地(四)を明渡し、連帯して右同日から右明渡済みに至るまで右同割合による賃料相当額の損害金を支払う義務があるから、右被告らに対する原告の本訴請求は右の限度においてこれを認容し、右被告らに対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、仮執行宣言の申立については、相当ではないから、これを却下する。

(裁判官 村上敬一)

(別紙) 物件目録〈省略〉

(別紙) 図面〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例